Nietzsche Now: 現代英米圏の分析的ニーチェ研究批評

主に、非ポストモダン的な議論をしている現代英米圏のニーチェ研究者たちの文献を紹介、レビューします。いわゆる分析的アプローチの論文を取り上げます。

1. Aaron Ridley, "Nietzsche and Music" (2014)

 

 

1. 書誌情報

Ridley, A. 2014. “Nietzsche and Music”, in Came, D. (ed.), Nietzsche on Art and Life (Oxford: Oxford University Press): 220-235.

https://www.amazon.co.jp/Nietzsche-Art-Life-Daniel-Came-ebook/dp/B00MN970F4/ref=sr_1_1?s=english-books&ie=UTF8&qid=1535754380&sr=1-1&keywords=nietzsche+on+art+and+life2.

 

2. 著者情報

Aaron Ridley (エイアロン・リドリー)はUniversity of Southampton哲学科教授。サウサンプトン大学はイギリスにおけるニーチェ研究の中心地の一つとして有名で、Ridleyは特にニーチェの美学や行為論に精通。

https://www.southampton.ac.uk/philosophy/about/staff/amr3.page#publications

 

3. 背景

『悲劇の誕生』BT[1](1872)、ワーグナー崇拝と離反、アポロ的/ディオニュソス的など、ニーチェの哲学には音楽が深く関わっていることはよく知られている。[2]しかし、そもそもニーチェはどのように、なぜ芸術の中でも音楽を重要視し、哲学に結び付けたのか?

 

4. 要約

4.1. Nietzsche’s Tastes

1844年生まれのニーチェの音楽趣味は保守的だった。1860年代初期までのアイドルはドイツのクラシック、Bach, Handel, Hydon, Beethovenだった。Berlioz, Lisztなどの当時the music of the futureと呼ばれたものには抵抗。その後、BTではWagner(特にトリスタン)を将来の希望としてアイスキュロスに見立てて称賛したが、1876年の『バイロイトワーグナー(反時代的考察第四篇UT[3])』で離反。死に至るまで、ニーチェのドイツクラシック愛は消えなかったが、ワーグナーにとって代わったのは、Brahmsではなく、南ヨーロッパ、特にイタリアのRossiniやBizetだった。注目すべきは、これらはそれぞれ当時の時代で支配的だったのであり、保守的である。だからこそ、ニーチェは当時の文化の批評家たりえたのである。 

 

4.2. Why Music?

ニーチェによれば、音楽は根源的芸術であり、生の本質に関係がある。ただ、これまた例えば、ニーチェに多大な影響を与えたショーペンハウアーのように、ニーチェの時代状況ですでに見られるものである。だが、ニーチェに独特なのは、生の価値づけの問題に結びつけたこと。ニーチェの同時代の文化批判は、生を否定し、彼岸を好むキリスト教的、近代的諸価値への非難に基づく。これらは、意味のない苦悩の存在の恐怖から我々を救済するために生じたが、キリスト教が与えた意味が信用を失ったいまや、その代わりに芸術、特に音楽こそが生を肯定するための諸価値を作り出す役割を果たす。それは芸術家による形式付与は意味付与の問題でもあるからである。Ridleyによると、音楽にはあらかじめ付与された意味はなく、一つの同じ音符とコードは全体の内で与えられる位置によって様々なことを意味するのであり、音楽は形式を付与する芸術そのものである。そして、音楽は他の芸術に比べて、直接、力強く価値を伝達する手段であり、ある作品が生に肯定的か否定的かが問題になる。 

 

4.3. Philosophy as Music

ニーチェは哲学と音楽を密接な関係に置いており、その総合を望んでいた。さらに、『善悪の彼岸』BGE246[4]から明らかなように、ニーチェは自らの文体、文章のスタイルを音楽的だと捉えていたのだが、これは単に美学的理由のみならず、音楽の持つ力ゆえだった。『愉しい学問』GS106[5]で、音楽は語りtalkよりもはるかによく人々の耳と心に到達できると言われている。なぜなら、音楽において、考えの苗木は聴衆の心についてから育ち、木になってから嵐などの批判に曝されるのであるが、語りでは根付く前に奇妙なものとして先制攻撃をくらうからである。では、そもそもなぜニーチェはこんな音楽的な方法を使うのかというと、先ほどの、生否定的価値を生肯定的な価値へと転換するという大きな哲学的プロジェクトにおいて、そうした価値の繊細な感情を魂に直接伝えるため。そしてこの考えは、ワーグナーから引き継いだものであり、両者にとって認知cognitionは感情feelingの結果的に生じるとされる。『曙光』D103[6]では、別様に感じるto feel differentlyのために、別様に考えるto think differentlyすることを学ばなければならないと言われている通りである。非音楽的哲学なら、まず別様に考え、感情の変化を望むが、音楽的哲学では先に、別様に感じ、副産物として考えの変化が生じる

 

4.4. Carmen Contra Parsifal

では、具体的に生に利する、反する作品とはニーチェにとって何か?生肯定的なのはBizetのCarmen、生否定的なのはWagnerの最後のオペラParsifal。Parsifalは生を否定する彼岸を生み出すようなニヒリスティックでデカダンな本能と共謀しているため、生に敵対的であり、悪い作品であるとニーチェは言う。しかしニーチェによるこのParsifal評には様々な異議が申し立てられてきており、実際のところは、ParsifalでWagnerは、彼岸というまがい物の後ろにあるデカダン的な衝動を乗り越えようとしていたのであり、その限りでニーチェ的だった。他方、『ワーグナーの場合』CW[7]冒頭で、ニーチェはCarmenをべた褒めしている。ニーチェのこのCarmen評は平凡だと言われることもあるが、Ridleyは、そうではないという。なぜなら、超越を拒否する仕方は、一方でWagnerのように彼岸の魅力を感じ、それを乗り越えるものだが、他方でBizetのようにその魅力を忘れたままにして、彼岸が魅力的でないとするものがあるから。これはGSの序4でギリシャ人は、深さゆえに浅い」ということと重なる。

 

4.5. The Musical Philosopher

ニーチェにとって、音楽には世界を救済するポテンシャルがあり、この黙示録的考えはニーチェの作品の基礎低音となっている。最後に、『ツァラトゥストラ』が曲となるなら、聴衆の魂に、比類なき力と直接性をもって、ニーチェの好む価値的立場が植え付けられるべきだとニーチェは考えるだろう。

 

5. 感想・論評

ニーチェにとって音楽が重要だというのは、ニーチェ研究者ではない方にとってもなんとなく周知のことだとは思いますが、それが具体的にどのような意味でという、細かい論点について比較的わかりやすくコンパクトにまとまった論文だと思います。(この論文の英文は構造が難しいですが。) そして特に注目すべきは、単にニーチェの音楽観を提示するだけでなく、あくまでも、あらゆる価値の価値転換という大きな哲学的構想、目的の中に、その音楽観、音楽的文体を一つの手段として位置づけたことでしょう。実は最近の英米圏では、ニヒリズムの克服などよりむしろ、この生否定的な価値の転換こそがニーチェの究極目標だと捉える評者も多くなりつつあるため、その枠組みの中にうまくニーチェの音楽観を入れ込もうとする試みなのでしょう。ニーチェの好む価値を人々に植え付ける有効な方法として音楽が重要視されているというわけです。アポロ的/ディオニュソス的という図式で語られることの多いニーチェの芸術論、美学ですが、ニーチェの音楽的趣味と音楽的文章スタイルから、その哲学的位置づけを探っていく点が新鮮です。ただし、第二節の形式付与form-givingと意味付与giving meaningの関係など、説明不足な点もあるように思います。また、芸術、音楽理論一般にそれほど詳しくない身からすると、個々の作品が持つとされる意味や意図がどのように(正当に)判断されるかが気になるところ。第五節の末尾では、『ツァラトゥストラ』を実際に題材にした曲がいくつか挙げられて、別の機会に批判的に論じたいとも言われているので。

 

6. 便利そうな英語表現

- One should be inclined, I think, to construe this passage as…

- What is most striking, I think, about this brief sketch of … is…

- … puts it nicely when she notes that…

- … thought of … and … as being very closely related to one another.

- But there is, as one might put it, more than one way of…

- It would be interesting, in light of this, to turn a critical eye on…

 

[1] The Birth of Tragedyの略記号。

[2] ちなみに、ニーチェ自身も作曲をしたり、ピアノを弾いたりしていた。YouTubeで曲を聴ける。

[3] Untimely Meditationの略記号。

[4] Beyond Good and Evilの略記号。

[5] The Gay Scienceの略記号。

[6] Daybreakの略記号。

[7] The Case of Wagnerの略記号。